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2017年12月19日(火) 下北沢BIG MOUTH

2013年8月26日月曜日

読音感想文 CINEMA dub MONKS "cinema,duo"

友人より、ある音楽について感想を聞きたいと言われたものですから、書いてみます。

Artist : CINEMA dub MONKS
Title : cinema,duo

ピアニカ、フルート、ウクレレなどを一人で演奏される方と、ウッドベースの方、それから映像を担当される方の3名からなるグループのよう。

友人から貸してもらったこのCDにはライブの模様をおさめたDVDも入っていました。

音楽の内容、映像ともに、極限までにミニマライズされた抽象的なモチーフの連鎖というべき表現。大抵の音楽には着地すべき地面のようなものがあるわけですが、彼らの音楽には着地すべき地面がありません。永遠に落ち続けることのできる深い暗闇、その中空で重力を感じているはずなのに、落下する事無く漂っている音と光の断片。

また、ライブレコーディング独特の人々がそこにいる感覚、息づかいや密かな心のざわめきは聞こえてくるのですが、それでいて激しい興奮があるわけでなく、微妙な熱をもった暗闇がただ存在しているような感覚。僕は何故だかこの感覚から、20世紀初頭パリの路地裏で行われていた秘密結社の集会を連想しました。暗闇の中で新しい思想や哲学について語り、「知」と「想像」で心の内側を燃やしていたような時代、その空気に近いものがあるのではないかと、勝手に思ったわけです。

さて、この作品を僕に貸してくれた友人は(彼もミュージシャンでありますが)、数年前にこの作品を聞き、こうした音楽が何故存在しているのか分からなかったそうです。

ちょっと友人も酔っぱらっていた部分もあり、「何故存在しているのか」という疑問については、どの点に「何故」の焦点が絞られているのか分かりません。
・何が楽しくてこのフリーフォームな音楽をやっているの?
・(歌のあるいわゆるポップスと比較して)お金にならないになぜやっているの?
・どのようにしてこの素晴らしい音楽が作られたの?
とまあ、こういった「何故」が彼の質問に含まれている可能性はありますが、上記は演奏している当の本人達に聞いていただかないと何とも解決のしようがないので、僕は僕なりに回答することのできる以下の疑問だと仮定してみることにします。

「こんな不思議な音楽なのに、良いと思う感覚がある、でも不思議すぎて全然分からない部分もある。こういう音楽って何を表現していて、聴く側は何を楽しむべきなのか」

この「cinema,duo」という作品のライナーノーツを読んだところ、このグループの名前は、メンバーの好きな物を並べたもののようです。

つまり、映画、ダブ音楽、そしてセロニアスモンク、この3つです。

この3つに共通するキーワードは何かを考えれば、彼らの表現しようとしているものが少し明確な形をとって見えてくるような気がします。

そのキーワードとは、「空間」です。

一つ一つの要素について掘り下げるとこの文章を終えられなくなってしまうので、駆け足で書きますが、映画は知っての通り、人類が初めて空間を意のままに操ることを可能とした究極の表現形式です。舞台芸術では想像力で補うしかなかったリアリティを、映画はその全てを何度でも再生可能なフィルムの中におさめることで、空間の操作、編集をも可能にしてしまいました。

ダブ音楽は、手法のことではなく、残響の音楽のことだと僕は思っています。発せられた音自体ではなく、その音の後に続く残響と、残響のために作られた音の空間、まさにこれも空間を操作するかのような表現方法として20世紀後半から急速に発展してきました。

セロニアスモンクはジャズ界の中でも異端とされるピアニストです。簡単に彼の演奏を評する言葉として「独特のタイム感」ということがよく言われますが、彼は得てして饒舌になりがちなジャズの文脈の中で、空間を作り出そうとする意識がとても高かったのではないかと想像するのです。

勿論これらは僕が感じたキーワードとしてのこじつけな側面はありますが、もとを返せば彼らCINEMA dub MONKSというグループの表現自体が、「空間」「間」を強く意識させるものだということは、ご存知の方であれば否定はされないでしょう。

音楽は、沢山の音の波が打ち寄せ合った大海です。大きな波、激しい波のことを音楽の素晴らしさであると感じやすいところはありますが、凪にも、波と波の間にも海はあります。世界を表現しようとする時に、「在る」ことだけに注目しようとするのは片手落ちです。世界には「無い」美しさが溢れています。夜空の星々があれほど美しく見えるのは、その側に強烈なまでの「無い」、つまり暗闇が寄り添っているからだ、などというのは使い古された言い回しのようですが、真実です。

話がどんどん哲学的になっていきそうで、それはそれでもの凄い興奮が自分の中に生まれてきていますが、ここはぐっとこらえてなんとか収束させましょう。

僕にこのCDを貸してくれた友人の疑問に答えるとすれば、彼らはこのように、空間と暗闇に光をあてる(この表現は面白いですね、むしろ、暗闇をより黒くする)表現をしていて、「無い」ことに含まれるストーリーを語ろうとしているのではないでしょうか。

人間は「無い」ことに対する強い恐怖心があると言われますが、それは反面抑えることのできない強烈な「無への欲求」だとも言われています。僕たちが「有る」または「在る」ことに安心感を覚えて、世界には沢山の「有る」が溢れていますが、だからこそこうした「無い」ことと、空間を表現した音楽というものが、僕たちの心に強く訴えかけることがあるのでしょう。

僕がCINEMA dub MONKSというグループの作品を聞いて感じたのは、アブストラクト=抽象音楽などという概念を超えて、抽象でも具象でもない、「無い」ことのための音楽という美しさでした。



音楽が何を表現しているか、それはそれぞれの音楽家だけが知る動機から発生し、その音楽の楽しみ方は、受け止める人それぞれの自由に委ねられています。そのため、勿論この音楽はこう聞くべきと定義するような行為は、音楽を聴く上でもっとも愚かな行為であります。

ただし、言葉にできない素晴らしい表現=芸術を、誰かにどのような形かで伝播させようとする時、人間は「言葉」という仮の記号を使うしかありません。僕は自分自身の感動の刻印を、なんとかこの仮の記号で書き留めておけたらと思うのです。

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