次回ライブ

■次回ライブ■
2017年12月19日(火) 下北沢BIG MOUTH

2016年6月6日月曜日

「新しい国とTシャツとわたし」③(2005年台湾ツアードキュメンタリー再掲載)

翌日の空は昨夜のものと寸分違わぬ様子で、ただ灰色く停滞していた。
雨はもう今にもこぼれてきそうで、またそれを堪えようという意志もなさそうだった。
すでに僕達は雨の中を歩いていて、今の時間はたまたま彼等が道を空けてくれているといった風に。
そしてこの台北に関していえば、帰国するその日まで空は僕達に同じ顔を向け続けていた。
ただ無関心ということだっただけなのかも知れない。

そんな肌寒い市街を、僕達は小雷に導かれて足早に巡った。
彼女とは昨年下北沢のライブハウス、CLUB QUEで1度だけ会ったことがあった。
その頃日本語学校に留学をしていた彼女は、林君の紹介で僕達のライブに足を運んでくれたのだった。
それ以来、約半年ぶりに会った目の前の彼女はその時よりも随分大人っぽく見える。
確かに日本のライブハウスでまだ拙い日本語を話している姿と重ね合わせるのは公平ではないかもしれないが、言葉の問題を抜きにしても、これが彼女の自然な、あるべき姿なのであろうことは直ぐに分かった。
25年もの間呼吸してきたの台湾の空気が、彼女をあるがままに迎え入れるのに何の雑作もある筈が無いのだ。
逆に僕達はその後何処へ行っても直ぐに日本人であると見破られた。
仮にある台湾人の格好を、髪型まで含めて全部真似してみても、同じ事だっただろう。
文化とはそういうもので、きっと僕らの背中に積み上がる。

とはいえ、小雷には独特の雰囲気があったことも確かだ。彼女はどの場所にもまるでずっとそこでそうしていたかのように存在する。
ある時はパーフェクトなツアーガイドだったし、ある時は小さな屋台の常連の客だった。
ライブの現場ではベテランのスタッフだったかと思えば、打ち上げでは長年の友人だった。
多くの台湾人が彼女と同じ様な気質を持っている事は、その後の多くの友人達との触れあいで知らされるものではあったが、振り返ってみても小雷の状況への順応力は飛び抜けていた用に思う。
それが台湾語、中国語は勿論、英語、日本語、そして今では韓国語にも挑戦しているという才女振りの根拠になっていたのだろう。
とにかく彼女にはその後の全ての状況で力を貸してもらうこととなった。

故宮博物院を急ぎ足で見学し、待望の小籠包に舌鼓を打つと、僕ら一行はもう激しく打ち始めていた雨の中に繰り出した。
台湾の音楽情勢を知っておく為に、是非とも前もってレコードショップに行っておきたかったので、小雷の勧めで、ある複合デパートに向かうことにした。

CDショップは日本に良く見る外資系のそれに比べると随分と控えめなものではあったが、丁寧に陳列された商品達はジャンルを問わず全てが並列に、解放的に佇んでいた。
基本的には欧米の音楽が広くスペースを使っていたが、日本や中国のポップスもある程度の主張をもって置かれていた。
もっとも日本の音楽に限って言えば、商業音楽の廃棄物が汚らしく場所を占拠していたに過ぎないが。
その中にもう少し小さくはあれど、台湾の音楽のコーナーもしっかり設けられていた。
台湾にもメジャーとインディといったようなシーンがあって、そのどちらもが同じくらいの量で並んでいた。
未だに状況が飲み込み切れていないのだが、そういったメジャーやインディの境目は殆どないのか、メジャーチャートで50万枚くらい売り上げた「五月天」(MAYDAY)というバンド等も林雨霖や小雷の友人だとのことだ。
そんな訳で当然1976のCDも置かれており、レジの横には彼等のポスターも貼ってあった。

その店内を見ただけで、この国の音楽情勢が分かるとはとても思わないが、基本的に若者は能動的に各種情報に接しているような印象を受けた。
その後に訪れた、上階にある24時間営業(!)の書店でも同じ様な事を思ったが、基本的にはショップは情報を整理するのが仕事で、後は選択されるのを待つのみといった風で、店員も客も落ち着いた時間をすごしていた。
それは今になって思えば、台湾という国自体の特質だったのかも知れない。
近代化された街から道を1本外れれば、そこには屋台が連なり、そこで食事をする老人の横を、スターバックスコーヒーを持った男女のバイクがすり抜ける。
場所や時間が人を選り分けることがなく、ただ用途に合わせてライフスタイルを選択している。
そもそも政治的に幾つもの諸外国の価値観を短期間に提示された台湾は、その中から自分達で正しいと思えるものを選ばなくてはならなかった。
つまりこの国では待っていれば与えられる物は無いのだ。そしてそれはとてもシンプルな、当たり前のことな筈である。

余りにもしつこい雨と冷気に少々疲れた僕らは、ホテルに戻って体力の回復に努めることにした。
ライブを明日に控えた僕達は、窮屈な旅を終えた楽器達に屈伸させてあげなければならなかったし、何より僕達自身を景気付けるためにも、1度どこかでリハーサルをしておかなければならなかった。
前もって林雨霖に予約しておいてもらったスタジオの時間は21時から1時間だけ。
その同じ部屋で22時から24時まで別のバンドの予約が入ってしまっているのだ。

その「別のバンド」こそが1976だった。
つまりその22時の入れ代わりが僕らと1976とが初めて顔を合わせる瞬間になるという訳だ。

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